読書日誌

2016年8月29日 (月)

「捨てられる銀行」

金曜日は、午前中に顧問先を訪問して、当面の経営課題についての討議。

昼から商工会議所青年部の委員会に出席し、その後、別の顧問先を訪問して、決算に関する打ち合わせなど。

夕方には、中海テレビの番組の打ち合わせ。

昨日の日曜日は、中海テレビ「県議熱中討論」の収録。

香港と米子を結ぶ定期便が就航するのを前に、どういう課題があるのかお話いただいた。

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【「捨てられる銀行」】

巷で話題になっている本、「捨てられる銀行」を読んだ(欄外のリンクをご参照ください)。

金融庁の新しい長官を「型破りのエース」などと称賛し、まるで金融庁の広報のような本だった。

いや、だからこそ読む価値があるのだ。

金融行政について、識者が自分の意見として語ることは、あまり意味がない。

なぜなら、行政ごとというのは、行政の責任者が決めるから、外野からいくらきれいごとを並べても、結局のところ、当の行政の責任者の考えが絶対的に重要だからだ。

それだからこそ、読む価値があるのは金融庁の広報なのだ。

その金融庁の広報が書くには、これからの銀行は地元企業の成長を助けてこそ、存在意義があるという。

今までは、バブル崩壊後、1999年の金融マニュアル制定以降、金融行政は不良債権処理をいかに進めるかが最大のテーマだった。

今、それが十分に落ち着いて、各行の自己資本も充実してきたところで、今度はそれぞれの銀行がいかにリスクをとって中小企業の支援をするか、それが問われるという。

問題は、そうした理念が行政指導によって、全国の地銀にどこまで浸透するかだろう。

理想論としては悪くないが、「餅は餅屋」で、コンサルするというのなら、コンサル業として独立した方がいいと私は思う。

コンサルフィーが取れるようなものでないとコンサルとはいえず、融資をかたにとったポーズのようなコンサルが横行してしまう。

その辺りの議論はあると思うが、とりあえず金融庁はその指導方針を変えた。

そのことが本書からわかる。

それ以上のことはないが、行政ごとというのはそれが重要なのだ。

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2016年8月24日 (水)

「99%の会社はいらない」

昨日は、午前中に顧問先を訪問して、当面の経営課題についての話し合い。

午後は、事務所で、6月決算法人の税務申告書の作成など。

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【「99%の会社はいらない」】

久しぶりの読書日誌を。

いつも、4月ごろから6月ごろにかけて仕事が忙しくなると、読書量が減る。

読書量が減ると新しい発想が生まれてこないし、ただ日々の業務をこなすだけの状態になってしまう。

8月に入って、ようやく仕事に余裕が出てきたので、夜は部屋にクーラーをつけて読書をする。

これが至福の時間。

 

ホリエモンこと堀江貴文氏には、少なからず影響を受けた。

特に2000年代前半の、あのライブドア事件前の一連の騒動で名を全国に知らしめたころ、私が衝撃を受けたことは、彼が経営していたライブドアという会社の決算内容だった。

IT業界に属する彼の会社の利益の大半は、投資によるものだったと記憶する。

本業の利益をコツコツと積み上げていくよりも、「利益に色はない」とばかりに投資で稼いだ利益が会社の利益の大半を占めている状況に、良くも悪くも「そういう時代なんだな」と思ったものだ。

「ものづくり」だとか、おもてなしをするサービス業のような、人手をかけてコツコツとお客さんを獲得していくような仕事ではなくて、お金がお金を呼ぶような、そんな経営スタイルがライブドアだったし、そういう会社が他にもたくさん出ていた。

村上ファンドがブイブイいわせていたのもあのころだった。

会計事務所のようなサービス業も、少なからず参考にしなければならないと思ったのを覚えている。

前置きが長くなったが、そんな堀江氏も、刑期を終えて、一皮も二皮もむけて今があるが、基本は変わっていない。

ただ決められたルールにのっかって、通勤するような毎日ではいけない、というのが本書のメッセージだろう。

会社という法律で定められた存在が、利益を享受する唯一の手段ではなく、いろいろなネットワークの中で、目的にもっとも合理的にアプローチできる手段が最善だという堀江氏の考え方は、なるほどと思う。

ただ、本書(「99%の会社はいらない」)は、そうした自己啓発的側面の強い本であり、具体的な中身は自分で考えて、自分で行動せよというのが、最大のメッセージと受け止めた。

こういう本を読んで、頭を柔らかくするのはいいことだと思う。

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2016年5月20日 (金)

本の買い方

昨日は、朝から鳥取市内へ行き、会計監査の仕事。

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【本の買い方】

忙しくなってくると、どうしても読書量が減る。というか、読書できない日々が続く。

3月決算法人の税務申告も、いよいよ大詰めの時期に入ってきた。

終わったら、しっかり読書したい。

 

出張で東京へ行くついでに寄る場所で、一番多いのは、新宿東口の紀伊國屋書店だ。

同じような規模で南口にも紀伊國屋書店があるが、最近はもっぱら東口へ行く。

もともと東口だけのものだったが、高島屋の新宿店が出来たときだったが、南口にも大きな店舗が出来た。

新しくて、広くて、ちょくちょく行ったのだが、結局のところ、昔からある東口にしか行かなくなっていた。

たぶん、東口の店舗が適度に狭いことが、かえって古くからの書店らしい雰囲気を持っているからではないだろうか。

そうしたところ、どうやら紀伊國屋書店は南口からは撤退するそうだ。

そして、その後には家具のニトリが進出するそうだ。

「家具のニトリ、新宿南口に出店へ 紀伊国屋書店の跡地」(朝日新聞より)

あの場所は、どうしても高島屋との連携が重要になる。

1階の入り口から入る人は少なく、大半の人が高島屋との連絡口からあの店舗に移動する。

まあ、私は本当にもうあの場所に行くことはないと思うが、紀伊國屋書店は東口で十分だ。

ネットで本を買うようになってから、一時期、リアルの店舗から足が遠のく時期があった。

しかし、ここ数年は、ずっとできるだけリアルの本屋さんに行くことにしている。

ネットだと、タイトルとその中身の概要だけで、簡単に本を買ってしまうが、買ってからつまらなかったり、読みづらいものだったりするので、読まずに積読状態の本が激増してしまった。

その反省から、やっぱり本は手に取って、読みたい本かどうかの感覚を確かめてから買うのが正しいのだろうと思っている。

それでアマゾンをどうやって使っているかというと、ブックマークに使っている。

つまり、興味のある本のリストとしてアマゾンの買い物かごに入れておき、実際に本屋で確かめて、買わないと判断したものは、買い物かごから削除していく。

こうすると、積読状態の本を極力削減することができる。

ネットは便利だが、無駄な本の購入にもつながるので、なるべくリアルの店舗で実際に手に取ってみて買うのが理想だ。

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2016年4月 4日 (月)

なぜ中国経済はなかなか破綻しないのか

金曜日は、午前中に顧問先を訪問して、決算に関するご相談など。

午後は事務所にて、諸々の調べものの片づけ。

夕方には、ダラズFMの金ダラDXの経済コーナーに出演。

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【なぜ中国経済はなかなか破綻しないのか】

忙しくなると、どうしても読書の時間が少なくなってしまう。

3月の慌ただしさも終わり、3月決算作業が始まるまでの束の間、今、少しほっとしているところだ。

20160402


事務所の近くの桜の広場には、ほぼ満開の桜の花が咲き、春の訪れを告げていた。

 

今日は読書日誌を。

『「中国の終わり」にいよいよ備え始めた世界』(宮崎正弘著)(欄外のリンク参照)。

この著者は、ずっと「中国経済は破綻する」と唱え続けておられる中国ウォッチャーだが、まあ、ずっと唱え続けていればいつか当たる日は来るだろう。

私が関心を持つのは、むしろ、これだけいろんな人にずいぶんと前から「破綻する」と言われながらも、いつまでたっても破綻しないのはなぜなのか、ということだ。

もちろん、この手の本でそれがわかることはない。

本書は、中国の政財界の細かいところまで、本当によく書かれていて、結論として「中国経済はやがて破綻する」に変わりはないのだが、記述が細かすぎて、概要をつかむには少々難儀する本だった。

ここからは私なりの中国経済の概要のつかみ方だが、なぜ簡単に破綻しないのかといえば、現在の共産党政権が続く限り、金融政策と財政政策を駆使していけるところまで行くからだろう。

何か危機的な事象が起きると、政府が率先して火消ししてしまう。

株が暴落しそうになれば、政府が買い上げたり、市場そのものを停止したりするのはその一端だ。

その資金源としては、相当に崩れたとはいえ、いまだもって世界の工場としての地位があるからだろう。

GDPが伸びないとなれば、地方都市に不必要なマンションを建てまくって、総生産を維持しようとする。

こういうのがバブル経済を生んでいるのは間違いないとしても、中国共産党が続く限り、この手の粉飾を繰り返す。

そして、もう一つは、巨額の外貨準備をドル建てで持っていて、もしも中国経済が破綻するようなことがあると、巨額のアメリカ国債がデフォルトに陥る危険があるので、アメリカも日本もそれをさせまいと、どこかで支えているような節があるからだ。

これがあるから、上記の1番目のオペレーションを平気でやってしまう。

大きくはこの2つがあるから、明らかにバブル経済であっても、なかなか破綻しない。

破綻するのは、共産党政権の終わるとき、あるいは現政権に何等かの政権転覆のような事態が起きたときだろう。

そのときに、これまでのバブル放置のツケが一気に吹き出る可能性がある。

一番、気を付けなければいけないのは、米国債の行方。

多分、今、米国債は、日本を中心に買い集めていることだろう。

その裏腹が、日本の量的緩和であり、マイナス金利政策という金融政策だろう。

「破綻に備える」とはそういうことであって、宮崎氏の本にはそういうことは書いてなかった。

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2016年3月14日 (月)

「教育という病」

金曜日は、午前中に顧問先を訪問して確定申告についてのご報告など。

昼にダラズFMにて、米子商工会議所青年部のコーナーに出演。

午後は、鳥取市へ移動して、確定申告についてのご報告など。

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【「教育という病」】

自分自身が小学校を卒業してから、もう30年が経つ。

母校の校舎は変わらないが、学校を取り巻く先生や親、そして子供たちの環境はいろいろと変わっている。

自分の子供が小学校に通うようになって、否が応でも学校の情報が入ってくるようになった。

当時と比べてどのあたりから何が変わっているのか、もはやよくわからないのだが、親も先生も、何だかかピリピリした空気が漂っていて、ほんの少し気持ちを緩やかにしてお互いで協力できればいいのにと思うこともある。

「教育という病」という本を書店で見つけて読んでみた。(欄外のリンクをご参照ください)

柔道の授業や部活で、実にたくさんの子供が後頭部をたたみに打ち付けて亡くなっている。

組体操では、巨大なピラミッドが崩れて、障害が残った子供がいる。

最近、流行りの「二分の1成人式」では、家族への感謝を半ば強要されることで、恵まれない家庭の子供や親が苦しんでいるという。

いずれも「教育」という名のもとに問題が隠されてきたが、いろいろなデータをもって説明することによって、こうした事柄の問題点を上げている。

最後の方の章で部活動に関する部分だけは、ちょっと疑問も残った。

多くの中学校で、部活動が強制されていて、先生たちは顧問として生徒たちの面倒を見ることになっている。

若い先生を中心に、指導要領にない部活という制度はやめたいという声が上がっているという。

地域のクラブチームなどに運営をゆだねるべきだと。

ただ、今の部活動の制度が無くなると、子供たちはどうなるのかなという疑問は残る。

教室ではできない指導力を発揮する場であり、また、教室ではわからない子供の実態が把握できる場でもあると、現役教師である同級生から聞いたことがある。

もう少し、合理的にやっていけばいいのではないかと思うが、その辺りは推進してきた先生たちの声も聞きたいところ。

いずれにしても、議論が不十分な点は残るが、全体として、現代の教育にまつわる問題点がデータを基に書かれていてわかりやすかった。

教育に関心のある人にはお薦めしたい本である。

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2016年3月 9日 (水)

「天才」

昨日は、事務所にて確定申告書類の作成作業。

ご来客が数件あり、確定申告のご相談や決算についてのご相談など。

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【「天才」】

東京都知事だった石原慎太郎は、国会議員の時代、田中角栄の金権政治を批判する急先鋒だったそうだ。

そのころの政治情勢は、リアルタイムでは知らないのだが、そうだったらしい。

田中角栄ほど、現役当時に大きな批判を受けたにも関わらず、死後、その功績をたたえる声が途切れない政治家もないのではないだろうか。

私のように、角栄の現役当時の政治情勢をリアルタイムで知らない世代にとっては、そうした名声の部分については素直に受け入れられたのだが、その当時にまさに批判の急先鋒だった著者にとっては、手のひらを返すようなことは政治家であるうちはできなかったのだろう。

それが、政治家を引退して、作家に戻ったことで実現したところにこの本の面白さがあると思う。

逆にいうと、そうして批判してきた当事者だった石原慎太郎にして、角栄をこれほどに評価するところに角栄のすごさがわかるというものだ。

その点が一番、印象に残った。

「天才」(欄外のリンクを参照ください。)という本は、田中角栄の「独白」というスタイルをとって、それを石原慎太郎が書いたものだ。

文中、角栄は「俺が」という一人称で生涯を語るのだが、最初のうちはその「俺が・・」というフレーズが石原慎太郎に思えて仕方がなかったが、途中から本当に角栄が語っているかのように感じられるから不思議なものだ。

石原慎太郎の作家としての才能の優れたところなのだろう。

特に脳卒中で倒れた後、肉声は外には出なかったが、このころに感じていたであろうことをも慎太郎に筆の力で書き綴った部分は、大変興味深かった。

さらに、最後のあとがきで、著者自身が角栄がアメリカに潰されたことを大変に悔やんでいることが強く印象に残った。

本文で、角栄は当時の選挙で300億円ほどを動かしていたと書いてあった。

ロッキード事件は5億円の収受をめぐってのものだったわけだが、角栄は本音として、300億円のうちの5億円なんか、気にも留めなかったと独白している。

その5億円で、日本を大きく発展させた稀代の政治家が失脚していったことを著者が惜しがっていることがよくわかった。

アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄を、あの石原慎太郎が愛国者として表現しているところに、この本の興味深さがあると思う。

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2016年2月22日 (月)

「地方交通を救え!」

金曜日は、午前中に確定申告の書類の作成。

ご来客が2件あり、確定申告の結果のご報告など。

午後は、商工会議所青年部の全国大会で岡山へ。

土曜日は式典と記念講演。

記念講演の講師は、堀江貴文氏。

堀江氏については、ときどきツイッターなどで発言を読んでいるので、私にとっては特別に目新しい話はなかった。

常識にとらわれない発想の大切さを再認識した。

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【「地方交通を救え!」】

岡山と言えば、両備グループだろうか。

商工会議所青年部で公共交通とまちづくりの関わりについて勉強したものにとって、岡山における両備グループの先進ぶりは、地方活性化のお手本のように見える。

「地方交通を救え!」(小嶋光信、森彰英 共著)は、両備グループが地方交通の再生で果たした役割をレポートしてくれている。(詳しくは欄外のリンク参照のこと)

小嶋氏は、両備グループの会長であり、平成25年に制定された交通政策基本法の立役者でもある。

「歩いて楽しい街づくり」をキャッチフレーズに、地方都市の公共交通の大切さをとき、具体的な再生の処方箋を実践してこられた方だ。

小嶋氏は元は東京都のご出身だというが、母方の縁で岡山の両備グループの経営者となられた。

小嶋氏によれば、公共交通の重要性を意識できないことは、都会の人には考えられないこと、という趣旨のことを述べられているが(P159)、確かに私も10年ほど東京に住んで、公共交通の利便性の高さがどれれだけ街のキャパシティを拡げているか実感できる。

車中心の地方都市だと、車がないとどこにもいけず、大きな制約を受けるのだが、便利さが勝り、それに気づくのは容易ではない。

小嶋氏は、「自動車を運転できなくなった日のことを想像できますか?」と問いかける。

街を良くしていくには、招来についてある程度の想像力は必要だが、こうした実践に基づく本を読むことで、より一層、その力が磨かれる。

まちづくりにご興味のある方には一読をおすすめしたい本だ。

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2016年1月28日 (木)

「世界一やせる走り方」

昨日は、会計監査の仕事で米子市内の法人を訪問。

夕方、事務所に戻って、ご来客が1件。

経理処理についてのご相談など。

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【「世界一やせる走り方」】

今日は、最近読んだ本から一冊紹介します。

「世界一やせる走り方」というタイトルに、「まただまされるのかぁ?」と思いつつ、思わず買ってしまった。

結論から言えば、良い本だった(内容については欄外のリンクをご参照のこと)。

この手の本によくありがちな、やせようと思う人に極端な負荷を求めるようなトレーニング方法を求めるのでもなく、また、食事制限のような苦痛を勧めるのでもなく、やせていく考え方が書かれている点がよいところだと思った。

このタイトルで本が一冊書けてしまうところもすごい。

それだけ、たくさんの素人を含む選手のトレーナーをやってきて、相手をその気にさせる言葉の引き出しを持っているということでもあるのだろう。

一番、重要だと思うポイントをまとめると、それは「ゆっくりやせる」ということであって、「走ることをいかに生活習慣の中に落とし込むか、そのために決して無理をしないこと」、そう私は理解した。

例えば「5キロやせよう」という目標を作った途端、2つのリスクを負うことになる。

一つは、5キロやせるまでにあきらめてしまうリスク。

もう一つは、5キロやせた後にリバウンドしてしまうリスク。

本当に目標にすべきは、生活の中に運動をする習慣をいかに入れていくかであって、それがうまく行けば、自然に体はスリムになっていく。

リバウンドとは無縁になれる。

私も昨年の10月ごろから、少しずつ走るようにしているが、なかなか生活の中に習慣づけられない。

「無理をしないことが大切」という、そのメッセージを過度に受け取ってしまった感のある私は、今月に入ってまだ1回しかジョギングできていない(苦笑)。

リバウンドする前に、まだ痩せていない自分に気付く(苦笑)。

「リバウントを気にする前に、まずやせろ!」と誰かがつぶやくのが聞こえたような気がする。

それでもやはり、あくまで自然体でやせていくという考えには共感する。

具体的な中身については、いろいろ書いてあり、一つ一つは紹介できないが、全体として良い本だったと思う。

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2016年1月13日 (水)

「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」

昨日は、午前中にご来客が1件あり、仕事の打ち合わせ。

午後は顧問先を2軒訪問して、決算に関する打ち合わせや当面の経営課題についての討議など。

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【「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」】

今朝は、読書日誌を。

拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」(蓮池透著)(欄外のリンク参照)

安倍首相をはじめとする拉致に関わった関係者に対する痛烈な批判が並べられている。

「よく書いたなあ」、というのが率直な感想。

すでにアマゾンの書評では、賛否が渦巻いている。

「よく書いた」というのもあれば、「なんてこと書いてんの」という批判まで。

これだけ実名で批判を上げていれば、返す刀で批判が返ってくるのは必然だろう。

この本では、批判の矛先に、安倍首相、中山恭子参議院議員、横田さん、増本さんなど、政治家や外務省、家族会のメンバーに及んでいる。

拉致事件をダシにしてのし上がった政治家や、カンパの資金を目当てにしている家族会のメンバーなど、その批判は痛烈だ。

安倍首相にいろいろな考えがあるのは理解できるのだが(そういう意味では、批判はもっともなところもあれば、あるいは素人には理解しづらい外交事情もあったろうが)、中山恭子参議員議員まで拉致問題を利用した人物として挙げられているというのは驚きだった。

マスコミに作られた人物像も、間近で見てきた著者の目から見れば、拉致事件をダシにしてのし上がった政治家ということなのだろう。

世間一般のイメージを覆してくれたという意味で、「よく書いた」と思う。

著者の蓮池透氏は、被害者の薫さんの兄で、当初は家族会の事務局長を務めていたが、意見の相違から、辞めることになった。

その経緯も書かれていた。

代わって事務局長についた増本さん(被害者の弟)については、「カンパを生活費にする男」という批判を入れている。

結果的に拉致問題が進展していないことからすれば、こうした批判が起きるのはもっともなことだと思う。

ただ、私の感想としては、拉致問題がこれだけ大きな事件となり、それぞれの家族の立場も一変した中で、その運命に翻弄される人が出るのは仕方のないことだと思う。

増本さんにしても、それまでは築地の市場で働いていたオッサンだったわけだが、拉致事件を皮切りにして、仕事も辞めざるを得なくなり、そこへいろいろな人物、特には右翼系からの接触を受け、一方で家族会には億単位のカンパの資金が入ってくる。

そんな風に状況が一変する中で、自分を変えずにいられる人間なんていないだろう。

その点を私は理解もし、また同情もする。

ただ、そうしたことに触れることがタブーとなっている今の状況では、拉致問題の解決は近づかないので、蓮池さんが投げた石が良い意味で波紋を広げ、解決への道筋になるといいと思う。

昨日の予算委員会では、早速、この本を取り上げた民主党議員と安倍首相とのやり取りがあったようだ。

安倍首相マジ切れ! 民主議員「拉致を政治利用したのか」との質問に「私が言っていることが真実だとバッジをかけて言う」とも』(産経新聞)

北朝鮮の問題は一筋縄ではいかない。

アメリカが絡むからだ。

政治の場での安直な批判は、解決にはつながらないことは野党の議員もよく考えるべきだろう。

この本の著者の勇気が報われることを願う。

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2015年11月16日 (月)

「巨龍の苦闘」

金曜日は、商工会議所青年部の全国会長会議で群馬県の前橋へ。

夜に米子に帰着。

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【「巨龍の苦闘」】

フランスのテロ事件もあり、世界情勢は混とんとしている。

こうしたご時世には、根拠の薄い将来予測が出がちだが、そうした中で冷静に情勢を分析し、将来見通しを付けることもまた、大切なことだ。

「巨龍の苦闘」(津上俊哉著)(欄外のリンク参照)は、中国情勢を多数のデータと細かい分析で解説した本で、最近になって書店に増えてきた「中国崩壊」みたいな本とは一線を画す好著だ。

日本人にとって、経済バブルの崩壊というのは、1990年代に味わった地下の暴落を伴う未曾有の経済不況が記憶に新しいが、中国においてはそういう現象は起きづらいという。

土地は地方政府が供給を管理しているため、日本のようなマーケット心理の変動による暴落は起きづらいので、日本のような一気に落ちていくプロセスは起きにくいという。

代わりに、緩やかな“調整”が長く続く可能性が高いというのも、なるほど、理論的には納得いくところだった。

いろいろな意味で中国の資本主義は、国や地方政府が噛んでいるので、その是非はともかく、普通のマーケット原理ではない部分が多いということを、中国の実情に基づいて解説してくれる。

途中の経済分析は、数字が多くて頭に入りにくかったが、前後の政治情勢の分析と絡めた中国という国の特徴は、とても勉強になった。

最近の書店に多く出ている「中国崩壊」系の本の中には、「中国に恨みでもあるのか?」というくらい、悪口のような書き方で綴られているものもあるが、本書は多くのテータを冷静な分析で著してくれているので、他に類を見ないものに仕上がっていた。

分析はあくまで冷静に、という教訓までもらったような本だった。

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