邪馬台国山陰説
昨日は、事務所でもろもろの仕事をこなした。
昼から商工会議所青年部の委員会に出席。
米子は今日も積雪が。
年末から寒い日が続くが、週間天気を見ると、来週なかばにも、またも寒波がくるらしい。
例年になく寒い冬となっている。
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【邪馬台国山陰説】
今朝の朝刊によると、奈良の古墳で銅鏡が多数発見されたそうで、邪馬台国畿内説を裏付けるものという説が出ている。(読売オンラインの記事はこちら)
奈良を中心に大和政権があったことは、歴史の教科書にも載っていることで、この地域に有力な王権があったことは、まず間違いないし、たどっていけば邪馬台国につながるのかもしれないことは否定しきれるものではない。
しかし、日本史の教科書に載っていない古代史が、我がふるさと、山陰にある。
それを記しているのが、郷土の歴史家、田中文也氏が著わした「新説 邪馬台国山陰説」だ(欄外にアマゾンのリンクを貼っておきます)。
これによると、山陰の各地域から発掘される様々な出土品から、大和政権以前の古代に、山陰の地に非常に有力な勢力が張りついていたとされる。
それが、邪馬台国だったかどうかは別にしても、その辺りの歴史が日本史の教科書からすっぽり抜け落ちているのは、重大な欠落だと思う。
我々が学校でならう日本史は、「縄文時代」→「弥生時代」→「古墳時代」→「大和時代」と推移していくと記憶している。
しかし、なぜ「出雲時代」、あるいは「山陰時代」が無いのか、今思えば不思議な話だ。
山陰の歴史をさらにさかのぼると、中国や朝鮮半島との結び付きに出会う。
明治政府になって、朝鮮を武力で支配しようという、いわゆる「征韓論」が台頭してきたとき、天皇家が半島とつながっているとも読み取れる出雲の歴史が、日本史から抹殺されたという説がある。
要するに、征韓論をとなえる明治政府にとって、あるいは、天皇を絶対君主にあがめたてた明治政府にとって、日本と朝鮮半島とのつながりを示す歴史は不都合だったというわけだ。
そして、そのころに伊勢神宮が日本の正当な始まりとして定着し、今でも年始には首相が参拝に行く。古事記や日本書紀の中心的舞台となった出雲の大社があるにも関わらずだ。
田中文也氏の著書の特徴は、古事記や日本書紀の記述に忠実に従って読み説いていること。中国の辺境の国が作った魏志倭人伝のような信憑性のはっきりしない書物に歴史の解釈を委ねていないこと。
そして、山陰固有の気候がもたらす恩恵についても触れ、自然科学的な見地からも古代史の研究をしてきたことが特徴だ。
どこぞの権威ある学者の“創造”による歴史観ではない点に新鮮味がある。
私は、日本史の教科書にいつの日か、一時代を築いた出雲、そして山陰に関する記述がしっかりと記載されるよう、願っている。
それが日本史を正しく理解することにつながるからだ。
































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