夫婦別姓
昨日は、午前中から午後にかけて、監査委員の仕事で西部総合事務所へ。夕方は、所用で松江市内へ。
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【夫婦別姓】
今度の法務大臣は、夫婦別姓を実現しようとしているらしい。
なるほど「選択制」にすれば、選択するのもしないのも個人の自由となるので、不都合はないということらしい。
そうなると、別姓を選択した場合の問題とか、そういうものもすべて、個人の自由ということになるだろう。自分にとって何が正しい選択なのか、しっかり考える必要があるということだ。
ちなみに私は夫婦は同姓の方が良いと思っている。何より、家族に対する一体感と責任感が持てることが良い。
「自分がしっかりしなければ」という気持ちが、仕事に、家庭に、あらゆる面で自分のバイタリティの源になっていることは否定できない。
もし、妻が自分と違う姓だったら、今と同じレベルの責任感を持つことができるだろうか。必ずしも自信があるわけではない。
苗字を変えてまで、自分についてきてくれた妻に対する責任というものは、普段から何気なく感じているものだと思っている。
夫婦別姓を主張する女性運動家たちは、きっと強い女性たちなのだろう。千葉法務大臣は弁護士だという。きっと誰の助けを借りなくても、一人で自活できるのだと思う。
すでに別姓を選択して、事実婚の形をとっている福島大臣も、弁護士であり、2億5千万円もの預金をため込み、老後の心配など一切ない女性である。
そういう女性が考える女性の地位向上は、だいたいにして理想がすぎると感じる。
社会生活を送る上で、結婚によって女性の姓が変わる不便さを解消し、女性の社会的地位を向上させようというが、言い換えると、すべての女性が自立して、自分で高収入を得て、老後の心配をしなくていいようにしなさいと言っているようなものだ。
もちろん、これができる女性もいるから、こうした主張が決して間違いだとは思わない。しかし、そうでない女性もたくさんいることに、強い女性は気がついていないように思う。
気づいていないだけならまだ良いが、決して自分は強くないのに、自分も強い女性たちと同じように、理想のキャリアライフを送れると思ってる女性も多い。
こういう女性は20代のうちは、若いというだけでチヤホヤされるからまだ良いが、30代になって、同僚との競争の中で本当の実力勝負の段階になると、疲れきってしまって、「自分の人生、これで良いのか」と思い始める。
男が一生かけても、成し遂げられないキャリアがたくさんある。男女同権なら、女性にとっても同じくらい仕事とは厳しい世界である。
しかし、女性には子供を産み育てるという、男には絶対できない仕事もある。それを「逃げ」と思っている気の毒な女性も多い。
夫婦別姓が始まったら、たとえ選択制とはいえ、自分で自分の幸せの形をきちんと考えておかないと、道を間違うことになる。強い女性たちの、強い理想の主張に、決して負けないように生きる必要が出てくる。
夫婦同姓を選択した女性は、「男に媚びた生き方だ」などと、フェミニストたちに強烈な言葉を浴びせられても、それが明らかに間違った批判であると、同じくらいしっかり主張して生きていかないと、自分の生き方に自信がなくなってしまうことになるかもしれない。
今まで、当たり前のように夫婦が同姓だったことに、主として男たちが、十分な自覚がなかったことが、問題だったかもしれない。
現代は、何でも新しい考え方が良い考え方だと思われる時代。古い価値観を守ろうとする人間には、「古い人間」のレッテルがすぐに貼られてしまう。
しかい、そうであってもこの議論、もう少し慎重に賛否両論を並べてみるべきだろう。






















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