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2013年12月 2日 (月)

吉野

金曜日は、午前中に顧問先を訪問。

午後は、別の顧問先を訪問。

当面の経営課題などについての話し合い。

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【吉野】

奈良に住む友人の招きで、吉野へ行ってきた。

桜の名所として知られる吉野は、かつて後醍醐天皇が南朝の拠点にした地。

奥深い山の中に、後醍醐天皇のゆかりの地が点在していた。

Img_20131130_145310金峯山寺(きんぷせんじ、写真)は、かつてこの地域で盛んだった、修験道の拠点として有名だそうだ。

私が気になったのは、その名称。

「金」と名のつくこの寺の一体は、かつて金鉱脈があった地域だそうだ。

なぜ、奈良の山間の地域が、大和時代の中心だったのかといえば、間違いなく、その一つは豊富な鉱脈資源だったのだろう。

ならば、今はどうなの?と思うのだが、たぶん金はまだとれるのだと思うが、封印しているのだろう。

日本の奥深い秘密が伝わってくるようだった。

Img_20131130_150303吉野朝宮址(写真2つめ))は、南朝の朝廷があった場所。

ここで後醍醐天皇が南朝方の指揮をとっていたのだ。

Img_20131130_151333吉水神社からみた吉野の山中の風景(写真3つめ)。

ここからの景色は、「一目千本」といって、春には一面の桜の風景が見られるのだそうだ。

しかし、秋の紅葉も実にきれいだった。

春の吉野は、人出がものすごいのだそうだが、秋の吉野は、それはそれで風情があった。

Img_20131130_163957後醍醐天皇陵にも行ってきた。

正面が北を向いているのが最大の特徴。

つまり、北朝を制圧することを最後まで望んで崩御されたため、南を向くのが天皇陵の特徴だが、後醍醐天皇陵だけは北を向いている。

写真は、如意輪時につながる陵の背後からのもの。

吉野一体は、木が生い茂り、深い山の中を感じさせる地域だった。

木が生い茂るのは、大地からの“気”の多い場所だと古くから言われる。

奈良県のあたりは、大地からの気が多い地域であり、昔の人はそれがわかっていたのだろう。

水銀や金などの鉱物資源も豊富で、日本で最初に国内を統一した国家がこの地にできたことがわかるような気がした。

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