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2012年7月27日 (金)

成熟国

昨日も県の監査委員の仕事で、鳥取市内の東部総合事務所へ。

午後は、現場視察。

外はひどい暑さだった。

このままずっと外にいたら倒れるな、と思った。

 

今朝、男子サッカーが勝ったことを知った。

大金星だ。

それにしても、日本人はオリンピックが好きだなあと思う。

朝から報道はオリンピック一色。

本気か演技か知らないが、現地から伝えるキャスターは、常に興奮している。

東京に招致すればいいじゃないかと思う。

ご存じのとおり、その最大のネックは、「地元の熱意が足りない」こと。

なぜ、東京で開催することに、日本人は冷めた目で見ているのだろうか。

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【成熟国】

要するに成熟した国になったことの一つの証拠なのだろう。

東京でオリンピックを開催した1964年ごろの日本と違って、オリンピック招致はもはやイベントとして魅力が下がっていると、日本人は自然にそう思っているのだろう。

ただ、ロンドンオリンピックのはしゃぎぶりを見ていると、必ずしもそうではないと思わざるを得ない。

頭はクールにしているつもりでも、体が自然にオリンピックに反応してしまっている。

そのエネルギーをクールに装っている頭に注ぎ込んでやる必要があろう。

 

どうも日本人の頭には、妙な金融資本主義が刷り込まれてしまった感がある。

ただし、刷り込んだのは必ずしも英米人ではない。

財務省にまんまと載せられてしまっている。

口を開けば、「そんなの無駄だ」という言葉が出てくるのは、金融資本主義に頭をやられてしまっている証拠。

コストとリターンのバランスが取れないものは、すべて無駄と言ってしまう。

しかし、採算性が合わない事業こそ、官業の役割。

そこには、本質的に必要かどうかの議論が優先する。

オリンピックは、コストとリターンは直接的には見合わないのかもしれないし、招致にかかる労力とコストは、無駄の典型ともいえるかもしれない。

しかし、これだけ多くの日本人が興奮するコンテンツだから、単純な採算性では語れないはずだろう。

そこに官業の果たす役割があるはずだが、二言目には、「無駄だ」という言葉が出てくる。

根本は金融資本主義への洗脳だが、これを逆手にとってうまく利用して日本人に流布したのが財務省ではないかと思っている。

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コメント

今回の記事は、読んでいて、ちょっと違和感を覚えました。私は、たとえ公共施設でも採算性は重要だと思います。それを無視して、アテネ・オリンピックを行なった結果が今のギリシャの姿です。

しかし、人の行動は、なかなか予測が出来ないものです。例えば、今週の「ガイアの夜明け」では、一時は閉館に追い込まれていた「横浜マリンタワー」復活のキーパースンとして稲本健一氏(44)が紹介されていました。彼は見るからに、バリバリのスポーツマンって感じですが、外食企業の社長で、彼が「横浜マリンタワー」にオープンした高級イタンリアン料理の店が来場者復活の要になっているそうです。そう考えると、東京でオリンピックを開催する事で、思わぬ経済効果が生まれるかもしれません。

とにかく、今は何が経済効果を発揮するのか分かりません。私などは、単にオシャレというだけで、イタメシとか フランス料理屋に群がるミーハーな連中を見ると、単に一時的な快楽を志向しているだけの様にも思います。確かに食を楽しむのは有意義なことですが、高級イタメシや高級フレンチが健康食だとは言えないですよね。しかし、横浜マリンタワーにとっては、そうした客でも重要な客なんでしょう。やはり、そうした客に来てもらわないと、来場者数は増えないし、横浜マリンタワーの復活もないのでしょうね。そして、今は、そうした客が多数派なんでしょうね。そして、稲本健一氏(44)の外見だけで判断するとは適切ではないかもしれませんが、彼は そうしたミーハーな客を引き寄せる店作りが上手い気がします。

投稿: 興 | 2012年7月27日 (金) 12時38分

興さま

箱ものだけを例にとると、わかりにくいですが、今や最大の行政コストは、社会保障です。
本文には書きませんでしたが、社会保障となるとそれこそ湯水のごとく金が出てくるのに、将来の発展を決めるインフラや箱ものになると、「無駄だ」の一言で片づけられる例が散見されると感じています。

採算性について、もし、それが見込めるなら、立派な民業です。
採算性は見込めずとも、大きく街の活性化に寄与すると思われる場合、そこに官業の役割があります。
しかし、こうした役割についても、細かいところまで採算性が問われるようになり、今や何もできなくなりました。
それにつれて、人々の意識も、何もしないほうが得とばかりに、新しい動きに批判だけが一人前になされる状況が見て取れるように思います。

将来へ向けての投資が非常にやりにくい時代になり、一方で社会保障には湯水のごとく金を使う行政では、将来の発展はないと思っています。


投稿: 伊木隆司 | 2012年7月27日 (金) 16時38分

金融資本主義的な考えはストック局面で全てを定量的に捉え、損得勘定で答えを出す。私から言わせればレベルの低い話だ。世の中を動かしているのは人類のエモーションである。それが次のアクションに繋がり市場が流動する。官がインフラ投資する、潤うと思えば民が参入する。官がストック局面で定量的に考えるから上手くいかなくなると思うんだけどな。

投稿: 会社員 | 2012年7月27日 (金) 17時09分

なるほど。そう云う事でしたか。確かに、採算を得る為には、競争に勝たなければなりません。従って、競争に勝てる見込みが立たない場合には、最初から行わない。それが賢い選択になってしまいます。しかし、それだと、次第に閉塞感が生じてきてしまいますね。これを打破する為には、もはや価値観を変えるしかないのかもしれません。少なくとも市場原理主義的な考え方では、もう限界の様にも思います。ちなみに、マイケル・サンデル教授は「公共性」と云う事を言っていますね。

投稿: 興 | 2012年7月29日 (日) 17時07分

>会社員さま

おっしゃる通り、金融資本主義は物事を単純化しすぎてしまい、明らかに弊害が出てきています。

単純化できない複雑な議論に耐えられず、矛盾が噴出しているように思います。

投稿: 伊木隆司 | 2012年7月30日 (月) 08時49分

>興さま

マイケルサンデル教授は、そのあたりを鋭くついていますね。
彼の論が日本でとても受けているようですが、うなずけます。
ただ、昔の日本では、そのあたりをもう少し複雑な思考でとらえることができていたように思いますが、金融資本主義の波はこの30年で日本のエリート層に深く浸透したものと思います。

投稿: 伊木隆司 | 2012年7月30日 (月) 08時52分

複雑な計算の基に1つの解を求めるのが難しく凄いこととエリート日本人は勘違い・洗脳されたのですね。過去にもエリート集団の方が、素直で洗脳されやすいことが立証されています。凡人が声を大にして異を唱えなければなりません。

投稿: 会社員 | 2012年7月30日 (月) 17時33分

>会社員さま

エリートと言っても学校の勉強しかしてませんからね。
解が一つの訓練だけはしっかり積んでも、それでは複雑系には対応できないということですね。

投稿: 伊木隆司 | 2012年7月30日 (月) 18時48分

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