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2012年6月11日 (月)

割り切る力

金曜日は、午前中に事務所で調査事案の片付けなど。

午後は、鳥取市内の法人へ行き、役員会に出席。

夜はそのまま鳥取市内で懇親会。

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【割り切る力】

ロンドンオリンピックを前に、国内でもいろいろな競技でオリンピック出場者の最終選考が行われている。

オリンピック出場を決めた選手も、そうでない選手も、その差は紙一重。

華やかなオリンピックの舞台の陰で、一流のアスリートたちの多くは敗れ去って行くのもまた現実。

 

昨晩、BSのNHKでオリンピックを目指す女子の重量挙げ選手たちのドキュメント番組を見た。

重量挙げという、やっている選手でないと理解できない世界に、女子として挑んでいる若い選手たちの物語だ。

番組の中で、選手たちが仲間で食事をしている最中、「自分はなんでこんなことをやっているのだろうかと、ふと思うことがある」と話している場面があった。

選手たちは、20代の女子だ。

同窓会に行けば、友人たちは彼氏の話や仕事の充実ぶりをいろいろ聞くだろう。

なぜ、自分は重たい鉄のバーベルを一心に上げているのだろうと本人も思うほど、不思議スポーツ。

ただ、そこにあまり答えを求めるものではないのかもしれない。

何かを得ようと思えば、何かを捨てることになる。

大きな目標を達成するために、生活のあらゆる楽しみを捨てる決断ができなければ、目標は達成できない。

つまり、「どんな努力をするか」ということも大切だが、同時に、「何をしないか」を割り切る力も同じくらい必要だ。

彼女たちは、楽しい青春を捨て、重いバーベルを上げるために一心に努力してきた。

そうやって青春を犠牲にしても、結果として仲間の中からオリンピックに出場できたのは一人で、あとの選手は落選となった。

みんな国内では実力者だが、紙一重の差で明暗を分ける。

 

選考大会が終わった後、敗れ去った選手たちはみなすがすがしい顔をしていた。

引退を決めた選手も多かった。

負けたからといって、決して彼女たちの努力が無駄になるわけではない。

間違いなく、その後の人生で生きるためのかけがえのない糧をつかんだことと思う。

 

なぜ、こういう話に共感するかというと、自分もそういうところがあったと思い出すからだ。

私も二十歳前後のころ、青春を捨てて公認会計士の国家試験のために勉強に打ち込んだことがあった。

実に暗い青春だったけれど、あれがあったから今、何とかやれている。

実に暗い体験をしてきたから、少々のことでは動じることのない自分を得ることができた。

昨日の番組を通じて、日本にはまだ人知れず努力している若者の姿がたくさんあるのを垣間見ることができた。

私も、もうひと踏ん張り、何かをがんばりたいと思う。

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コメント

何かを得るために何かを犠牲にする
でも本人には分かっている
得る方が欲しくて欲しくて仕方ないこと

私も欲しくて仕方なかった称号を得た
しかし会社ないでの称号は得れていない

けれども結論は自分の中では出ている
歩んでいる道に後悔はないと

投稿: 会社員 | 2012年6月11日 (月) 22時42分

結局、やりたいことを一生懸命やり、後悔しない生き方が、結果的に良いのだと思います。

投稿: 伊木隆司 | 2012年6月11日 (月) 23時22分

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