« 目の前の一打に集中する | トップページ | ドラマ 国税査察官 »

2010年4月16日 (金)

妻木晩田遺跡

昨日は、県の監査委員の仕事で、県西部の施設を訪問。

夕方、事務所に帰って残務整理。

--------------------

【妻木晩田(むきばんだ)遺跡】

昨日の監査では、4月に完成したばかりの妻木晩田遺跡の史跡公園の視察に行ってきた。

国内最大級の弥生時代の遺跡は、山陰地方が当時の日本の中心だったことをうかがわせる重要な発見でもある。

ちなみに遺跡の規模は、あの吉野ケ里をはるかに超えている(詳しくは、Wikipediaなどを参照してください)。

視察では、これから整備が進む地区の状況も見させてもらった。

201004151122002 妻木晩田遺跡は、高台にあり、ここから見える日本海の風景は、絶景といっていい。

おそらく、戦があったため防衛上の理由があったと推測される。

写真の海は日本海であり、左側から弓なりに浜が続くのが、「弓ヶ浜半島」で、その先端に「境港市」があり、その向こうは「島根半島」である。

ところで、この弓ヶ浜の途中に「夜見町(よみちょう)」という地名がある。

この妻木晩田遺跡の位置から、船を流すと潮の流れで行きつくところが、夜見町付近だという。

昔は人がなくなったとき、遺体をすべて埋葬するとは限らず、海に流していたともいわれているが、この妻木晩田遺跡の位置から遺体を海に流してたどり着くのが、夜見町、つまり「黄泉(よみ)の国」である。

そして、その向こうには、生と死の境があり、それが今の境港市というわけだ。(「境港市」は市制になってからの呼び名であり、昔は境町だった。)

日本の神話の大半は、山陰地方に由来するものだが、明治に入り、これらはすべてフィクションとして切り捨てられ、伊勢神宮が日本の正統な歴史と位置づけられた。

しかし、妻木晩田遺跡を見ると、単なるフィクションとしての神話ではなく、実際にそういうことを昔の日本人が行って、その事実やそのときの日本人の考え方を表現したのが神話になったのだと思えてくる。

まだまだこのあたりの歴史は、考証が十分に進んではいないが、やがてしっかり研究して、日本の歴史を再考するきっかけになればいいと思う。

|

« 目の前の一打に集中する | トップページ | ドラマ 国税査察官 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 目の前の一打に集中する | トップページ | ドラマ 国税査察官 »