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伊木たかし 公式サイト

2017年4月 8日 (土)

後援会活動の最終日に

これまでの期間は「後援会活動」というそうで、支援の輪を拡げていただく期間で、正確には告示後のことを「選挙運動」というのだそうです。

そして、後援会活動は今日をもって終了となります。

思えば昨年の11月9日に出馬表明した後は、何か暗いトンネルの中に迷い込んだ感じを覚えました。

1月15日の事務所開きは、今年初めての寒波となり、前の晩から降り積もった雪で当日の朝はどうなることかと思いました。

しかし、朝、早くから後援会の青年部のメンバーが、寒い中を雪かきしてくれて、まあ、あの時、もうこの人たちと一緒に自分の人生をかけて米子を良くしようという覚悟が決まったように思います。

それから毎日、いろいろなところへご挨拶で周り、私の考えを伝え、人となりを見ていただきました。

行く先々で、「がんばれよ」、「若い力に期待しているぞ」、「写真よりいい男ね」(笑)、などと励ましていただき、暗いトンネルの中に、一つ一つ明かりがともるような心境にさせてもらいました。

何せ、体が一つしかないもので、すべてを周り切ることは物理的にできませんでしたが、ここまで悔いのない「後援会活動」が出来ましたし、確実に支援の輪が拡がるのを実感できるところまで来ました。

やはり今、ここで米子を変えて行かないと、いよいよもって米子は衰退してしまうという、その瀬戸際に来ていると思います。

何をやるにしても負担はつきものですが、「無駄だ」とか、「やっても意味がない」などと対案も出さずに反対ばかりしていては、何も良くなりません。

リスクをとっても向かうべきは向い、衰退を少しでも食い止め、少しでも将来の繁栄の礎を築こうという努力をはじめないと、本当に米子はダメになってしまいます。

いろいろと論点はありますが、やっぱり前向きな議論の中で、物事を具体的に進めていく人間がトップに立って、いろいろな人たちと協力し合ってこの街を良くしていく必要があります。

私が後援会活動の最終日に書いておきたいことは、そのことです。

明日からは米子の街を、街宣カーで周る予定です。

いろいろとお騒がせをすることになりますが、大事な選挙になりますので、どうかご理解いただければ幸いに思います。

では、またどこかでお会いしましょう!

2017年4月 7日 (金)

中心市街地問題の論点整理

もはやじっくりニュースを読む暇が無いのですが、米子の老舗デパートの高島屋が東館を米子市に無償譲渡して、存続のための策を考えていくという報道がありました。

今、私には事実関係を確認している時間がないので、一般論でもって「なぜ中心市街地を活性化する必要があるのか」という点について論点整理しておきます。

私自身、自宅も事業所も郊外にありますので、中心市街地の活性化とは直接には関係ありません。

それでも中心市街地の活性化が必要だと思う理由を端的に言えば、「街には核となる場所が必要」ということになります。

人・物・金、そして情報は核となる中心に集まりやすい性質をもちます。

人間というのは、人がすでに集まっている場所に集まりやすい傾向があり、それに連れて小売業ができたり飲食店ができたり、新たな事業所ができたりします。

こうした地道な集積が街づくりであり、それができてはじめて街ににぎわいが出てくるわけです。

郊外型のショッピングモールというのは、自らの事業体が収益を上げるということだけで考えれば合理的ですが、それでもって街が活性化した事例を私は知りません。

車で行って帰るだけでは、街を歩く人もいないし、モールの中はにぎわっても、街が賑わうことはありません。

また、車を持たない人にとっては、なかなか行きづらく、いわゆる“買い物難民”が発生してしまうのも、郊外型の限界です。

決して批判をしているわけではないですし、もはや郊外型のショッピングモールは、特に親子連れにとっては、行って楽しい場所となっています。

だからこそ、街づくりを進めるために共存する手段を考えていく必要性だけはきちんと書いておきたいと思います。

中心市街地というのは、その街にとっていち早く、上下水道などの生活インフラを整備した場所でもあるので、すでにあるものを活かすという意味でも、行政にとっては合理的な投資先にはなると思います。

ただし、昨今の小売業の不振というのと、中心市街地の衰退は分けて考える必要があるだろうとも思います。

今やネットショッピングが全盛になりつつある時代で、リアル店舗の売上が下がる傾向にあるのは、デパートだけに限りません。

小売業は、普段の買い物で人が集まるため、中心市街地の顔のような存在でしたが、そもそも買い物をリアル店舗でしなくなってきている今、中心に何を据えるのは、よく考える必要があると思います。

例えば、ネットで買いづらいもの、生鮮とか鮮魚とか精肉とか、こうした普段の生活に必要な食料品を買う場所というのは、中心部や、あるいは郊外の住宅地などにあって良いと思いますし、すでに米子でもこうした場所では“買い物難民”が発生していて、今朝の日本海新聞にも載っていましたが、米子の永江においては地域の方々によって独自の取組がなされていたりもします。

かつてのデパートは、親子連れで行って、買い物やランチをする場所でもありましたが、今のデパートは、年配の層がターゲットとなり、親子連れをほとんど見かけなくなっています。

考えるにあたっては、親子連れで行ける場所というコンセプトも重要かと思います。

都会地では、駅ナカビジネスがデパート業界を凌駕しつつあります。

すべての買い物がネットに移るわけではなく、やっぱり実物を見て買い物したいというニーズは確かにあるのですが、それが今、普段から中心市街地の中でもさらに人が集まりやすい駅に新たな出店するケースが増えています。

東京の山手線のそれぞれの駅の中が今、どんどん開発されていますが、小売業界では、ネット通販だけでなく、JRのような鉄道会社が小売業の新たなライバルに育っているのです。

米子においてもこうした動向を捉えながら、どうやって中心市街地のにぎわいを取り戻すのか、具体的に角盤町エリアには何を据えるべきなのか、考える必要があると思います。

一旦、手をひいたら、衰退は思った以上に加速度的に進みます。

やよいが撤退しただけで、角盤町の地下は大きく下落したのがその表れですが、その恐ろしさをもっと市民の皆様と共有できたらと思います。

やよいの跡地とともに、角盤町エリアにどういう手が打てるのか、なるべく早期に話し合いを始めないといけません。

また、皆様のご意見を聞かせてください。

2017年4月 6日 (木)

私の人となり

私を知らない人は、私について真面目そうな印象を受けるようです。

これまで税理士として公認会計士として、お金を扱う仕事をしてきたので、信用が第一だと思い、硬く見せてきた部分はあると思います。

お金の話は、率直に言って、人の懐具合を知りうる立場でもあるので、守秘義務を負っているのはもちろん、信用がなければお客様から正直に悩みや課題を話していただくことはできません。

22歳のときから21年間、そういう環境に身を置いて仕事をしてきましたので、自然と真面目そうに振る舞うくせがついているとは思います。

政治を志してから、これはプラスにもマイナスにも効いているのを実感します。

傲慢さやハッタリがむしろ受けるような世の中です。

それで社会が良くなるのなら、そういう人を擁立してくればよろしい。

派手さやパフォーマンスが足りないと忠告してくださる方もいらっしゃいますが、圧倒的多くの方たちは、米子を一歩でも二歩でも良くするために真面目な伊木に期待するとおっしゃって、私を励ましていただきます。

ただ、私ほど自分の人生を楽しく充実させようと試みている人間も少ないのかもしれないと思っています。

また、私には決して杓子定規な真面目さはなく(これは間違いない)、いかに外れるかを真剣に考えるようなそんな楽しみを追いかけるのが私の特徴です。

ですので、私と知り合った方の多くは、第一印象と違う感触を受けるようです。

この世に生まれたからには、しっかりとこの世を楽しんで、充実した人生を送りたい、そんな気持ちが「住んで楽しい街づくり」という理念につながっています。

中心市街地の話題が論点に上がりやすいですが、私は淀江や弓浜部や南部・箕蚊屋など、今まで市政の中で注目されてこなかったエリアにもしっかり光を当てて、米子のダイナミックな発展につなげたいと思います。

そして美しい自然環境など、米子がもともと持っている魅力にも光を当てて、多くの市民が「住んで楽しい」、「人生が充実した」と実感できる街にしたいと思います。

2017年4月 5日 (水)

児童発達支援の充実

近年、発達障がいの子どもさんが増えているという話を聞きます。

増えているのは診断の精度が上がったこともあると思いますし、それを受け止める親御さんの理解も進んできていることもあると思います。

正直申しまして、そもそも発達障がいというのは障がいなのか?という疑問はありますが、大切なことは、診断とその後に行われる療育(「教育」と「治療」の間の概念)をバランスよく充実させることです。

診断の精度だけが上がって、その後に行われる療育のシステムが充実していないと、単に子ども達をセパレート(区分)するだけに終わってしまします。

悪く言えば、「レッテルを貼って終わり」になりかねません。

この状況では、親御さんの理解も進まず、診断結果を受け入れないことも往々にして起こるわけです。

逆にいうと、発達障がいの診断を受けても、その後に適切な療育が行われることを親御さんたちが理解してはじめて、診断結果を受け入れ、療育に前向きになれるのです。

かつて、こうした診断がなかったころ、そもそも発達障がいという概念に乏しかったころは、「落ち着きのない子」だとか、「理解が遅い子」という程度の認識で、他の子ども達と一緒に育てられました。

それでも大人になるころにはある程度、ちゃんとできるようになって一人前になる子もたくさんいたわけです。

しかし、その「一緒に育てる」中では、体罰で押さえつけるようなこともあり、現代の教育ではやってはいけない指導方法もあったと思います。

そこで適切に診断し、早めに対応していくことで、子どもの人権を侵害しないように育てていくことが、子ども達の生きにくさを解消するきっかけになるはずです。

また、こうした認識を適切に持つことによって、自分の苦手なところがわかり、大人になってからの生きにくさを解消してくれることもあるといいます。

ところで、何をもって障がいと定義するかは、時代によって違うのかもしれないことは書いておきたいと思います。

今は、例えば空気が読めないから発達障がいと診断されがちですが、昔から空気を読まない人が時代を変えてきた側面はあるわけです。

戦国武将だった織田信長も、現代風に言えば発達障がいだった可能性があり、空気を読む人だったら極悪非道とまで言われてお寺(延暦寺)を丸焼きにはできなかったかもしれません。

しかし、お寺に武装したお坊さん(僧兵)がいて、門前市とかいろいろな利権を守ってきたわけで、それを打ち破っていこうなんていう発想は、空気を読まないからできたことだと思います。

例えば、アインシュタインは自閉症だったと聞きましたが、何かに没頭し、突き詰めて物事を考える力を持つ人に、自閉症はよく見られる症状だとも聞きます。

周囲の人々とコミュニケーションを取るのが苦手でも、自分の得意分野で画期的な研究成果をもたらす能力がある人もいるわけでして、どこからどこまでが「障がい」なのかは、時代によって定義づけが変わります。

本当はそれぞれの個性として社会が受容できるようになるところまで、努力を続けないといけないと思います。

そういう意味では、現代の日本の世の中が「個性」に対してずいぶんと不寛容になっているようにも思います。

現代の診断スキルは確かに発達障がいの子どもを発見するのに成果を上げていますが、くれぐれも「レッテルを貼って終わり」にならないよう、療育体制の充実をセットで行っていくようにしたいです。

2017年4月 4日 (火)

米子復活の処方箋

いろいろな政策がある中で、やっぱり福祉の充実というのが行政の究極の目的だろうというのが私の思いです。

弱い立場にあるい人にいかに社会の手を差し伸べられるのかが、社会の余裕であり、それこそが行政の目指したいところです。

しかし、福祉には財源が必要です。

日々の生活を満たして、そこから余剰となるところからいくらかを税金として納めてもらい、福祉に回していく。

この循環を作るために、まず経済政策を推し進め、地域の経済活動を活発にして人々の生活の基盤を固め、明日の暮らしの不安を無くし、そして福祉や子育て支援などにちゃんと予算が回るようにする。

これが行政が目指す政策の大きな構図だと思います。

だから、まず経済の循環を良くしないといけないわけですが、米子を大きく5つのブロックに分け、それぞれ違う処方箋によって米子をダイナミックに復活させればと思っています。

まず弓浜部については、空港や和田浜工業団地、お隣りの境港の機能を活かして、一つの中核を作っていきます。

工業に、そして農業に、また自衛隊の基地との共生を図りながら、この地域の発展を考えます。

2つ目は皆生温泉ですが、観光業というのは地域にとって外貨収入を稼ぐ産業でもあり、しかも取引先のすそ野が広いため、地域経済の柱に育てて行かなければならない産業です。

3つ目は、中心市街地ですが、米子駅を核として交通の便利の悪さを解消しつつ、商店街については、魅力の回復をいかに図るかを考え、角盤町や朝日町についてもどういう復活の道筋があるかを考えていきます。

4つ目として、南部・箕蚊屋地区ですが、ここは肥沃な土壌を活かして、米子の農業をいかに儲かる農業に変えていくか、そうした取り組みをしていきたいと思います。

5つ目として、淀江地区ですが、古くから「歴史と伝統の街」であり、「教育の街」という風土を活かし、淀江の独自の文化をいかに守り、育てていくかを考えたいと思います。

その他、二本木や流通町あたりの米子IC付近は、すでに発展の芽が出ていますので、これに連なる動きをいかに作っていくかが課題だと思います。

以上のように、経済政策といっても、1つじゃないし、各地区によってその内容は異なります。

米子の場合、大きくはこうして地域を5つのブロックに分けて、経済政策を概括できるのではないかと思います。

バブル崩壊後の低迷が長引く中で、世の中にはこのままさらに落ち込んでいくだろうというマイナス思考、悲観論も根強いです。

「人口が減るから」という理由ももっともらしいですが、しかし、手をこまねいていると地域間競争の中で、落ち込みは加速度的に進むことでしょう。

何とか食い止めようという努力が、悪くても衰退を遅らせ、うまくいけば復活につながると思います。

米子をダイナミックに復活させるために、打つべき手は打たなければいけません。

その内容を一層、精査してブラッシュアップしていければと思います。

2017年4月 3日 (月)

耕作放棄地対策

農業分野は、すでに全国各地で成功例が出始めており、将来的にとても可能性のある分野だと思っています。

しかしながら、農業政策は一筋縄ではいかないものだとも思います。

まず、地区によって農業に関する課題が全く違います。

米子の場合は、大きくは、弓浜部から淀江の沿岸部にかけては砂地であり、五千石や箕蚊屋などの土のしっかりした南部のエリアとは作れる作物の種類が異なります。

弓浜部はかつて、綿花や桑、タバコが主たる作物でしたが時代の流れもあり、その大半は今、白ネギか、あるいは耕作放棄地となっています。

この耕作放棄地を解消していくのは大きな課題ですが、「解消」といっても、農地として再生していくのは簡単ではありません。

場所によっては、宅地化する方向を見出した方がいい場所もあると思います。

また、農地として再生するにしても、一度、耕作を放棄した農地は、元の土壌を取り戻すのに数年の時間がかかります。

これまでの農政は、どちらかというと「いかに品質の良い作物を作るか」に軸足があったと思います。

もちろんそれも必要ですが、これからの農政は、「いかに市場を開拓するか」、つまり「いかに売れる作物を作るか」に力を入れる必要があると思います。

もちろん、農業政策は国と県も並行して行われているわけでして、予算の少ない米子市が農政に力を入れるとした場合、ある程度、狙いを絞って、例えば小売企業などとの契約栽培が成り立つものに力を入れるなど、農産物の“出口”を意識した支援に力を入れることも必要です。

畑作については、やはり白ネギが中心になりますが、それ以外にもサツマイモなど可能性のある作物はいろいろとあります。

南部のお米についても付加価値を上げるためにブランド化や売り方などを考える必要があると思います。

また、食育にも力を入れて、地元で採れた農作物を子ども達が食する機会を増やす方法も考えたいです。

特にお米を食べなくなった若い世代が増えていると聞きますが、(炭水化物ダイエットの影響でしょうか)、お米は元気の源ですので、しっかり食べて元気を出せるようなそんな食育は必要なことだと思います。

農業政策は、とにかく個別の課題をきちんと整理して、可能なところから政策を作っていくことが必要です。

そして、米子から農業分野で成功例が増えて、農業が雇用を支えるようなそんな米子を作っていきたいです。

2017年3月31日 (金)

美術館、図書館の充実と文化芸術活動の振興

平成25年に美術館と図書館がリニューアルされた際、私は米子市の公共事業評価委員会の委員長の任にあり、この増改築のプランを検討する場にいました。

その時の経験が、市民の皆様がそれぞれに施設に思い入れをもって、様々な活動に取り組んでいらっしゃることを知るきっかけになりました。

街づくりとは、究極、文化に根差すところに帰結します。

「人はパンのみに生きるにあらず」と言いますが、動物のように食べて寝るだけのために人は生きておらず、生きる楽しみとか喜びとか、そういったものを見出しながら社会生活を送ろうとするものです。

文化は英語でカルチャーですが、カルティベイト(耕す)の派生語であり、カルチャーの下に人は集うものでもあります。

アメリカの戦略家にジョセフ・ナイという人がいて、かつて「ソフトパワー」による世界支配をもくろみました。

イラク戦争の後に疲弊しきったアメリカが、武力による支配ではなく、アメリカの文化による支配をもくろんだ象徴的な言葉がソフトパワーです。

そういえば、戦後の日本でしきりにアメリカの豊かな日常をドラマにして日本に流したのもソフトパワーの一種でしょう。

話がそれましたが、米子の人たちが普段から遊びや風習、あるいは趣味などで米子に根差した活動を展開し、それが活発になればなるほど、米子に人が定着するようになります。

美術館はその象徴ですし、図書館はそれを教養面から下支えするものです。

私のように経済活動主体でやってきた人間にとって、文化とか教養というのはうっかり忘れがちになりますが、経済活動で乾いた心を癒してくれるのが、文化芸術の力であったり、経済活動が何のために行われるのかを考えさせてくれるのが教養の力でしょう。

だからこそ、しっかりと独自の文化をはぐくむことは、街の歴史をちゃんと認識することと同じくらい大切なことだと思っています。

「歴史と文化に根差した街づくり」という考え方は、そうした思いからきています。

2017年3月30日 (木)

中心市街地と郊外の一体的発展を目指した街づくり

「中心市街地の活性化」という言葉は、もうずっと前から聞いているのですが、ここまでなかなかうまくいっていないように見受けます。

「なぜ中心市街地が衰退したのか?」が十分に原因分析できていないと思います。

「個別の店舗が努力を怠ったから」、「店舗と住宅が一つになっていて、出店と撤退の新陳代謝がうまくいかなかったから」、などという理由なら、「個別の店舗のがんばり」と、「新陳代謝が促されるような店舗への補助金」などによって解決できたでしょう。

中心市街地の活性化策として打ち出された政策は、概ね、こうした問題への対処療法だったように思います。

「中心市街地に駐車場が不足していたから」というのも、もっともらしい理由ですが、店舗から見て近隣の駐車場も含めれば、実はそれほど不足しているわけではありません。

ただし、ちょっと離れていたり、有料駐車場を無料処理するのが面倒だったりと、「ちょっと不便」な状況が、アクセスフリーな郊外型の大型店舗と比較して負けたのです。

米子の街づくりはとくにこの30年、郊外へ郊外へと道路というインフラを伸ばしていくことに傾注してきました。

街づくりというより、道路づくりの都市計画だったと思います。

そうして郊外の大型店舗が相対的に便利になり、中心市街地に人が集まりにくい街の構造が生まれたのです。

即効性のある対策は別としても、この状況を放置したまま中心市街地に公費を入れても焼け石に水なのは当然のことです。

時間はかかっても郊外の住宅地から中心市街地への交通アクセスを改善していかないと抜本的な解決には至りません。

そのような理由で私は、「中心市街地活性化」というのを公約には掲げず、ちょっと長いですが「中心市街地と郊外の一体的発展を目指した街づくり」というテーマを掲げました。

住民の多くは中心市街地の外に住んでいます。

この人たちが今、便利な郊外のバイパス道路を通じて、郊外の大型店舗に行くわけです。

その流れを中心に引き寄せるには、これまでとは異なるアプローチが必要で、それが公共交通の利便性向上です。

その肝は、歩いて周遊できる街をいかにつくるかです。

中心市街地を活性化したければ、郊外に住む人々が中心市街地にアクセスするのに便利にしていく、あるいは、中心市街地に行く用事(動機づけ)を作ることも重要です。

ヨーロッパの都市で、車社会から脱却するために、公共交通の利便性向上をすすめた事例がたくさんあります。

LRT(ライトレール=簡易軌道による電車)を導入した街もありますし、日本では富山市の交通政策が有名です。

そもそも日本の大都市は、世界に冠たる公共交通の便利な街を作り上げています。

東京都心の私鉄とJRと地下鉄の立体交差する駅を見て、外国で都市計画をやっている専門家は驚愕するそうですが、日本の弱点は地方都市までそうした政策が行き渡っていないことです。

「公共」と名の付く交通網ですが、実態は「民営」で、費用対効果で地方の路線は切り捨てられる傾向にありますが、これを何とかもっと使えるようにして、負担を抑えながら維持ないしは発展に向けて舵を切る必要があると思います。

歩いて周遊できる街は、街なかにあらたな需要を生み出す可能性を作ります。

観光客の方にとっても、公共交通と徒歩で移動できる街は便利です。

まだまだ書き足りないことはありますが、公共交通の利便性向上は街づくりの要になってくると、私は考えています。

2017年3月29日 (水)

教育環境の整備について

学校給食を無償化するという案があります。

そうなれば親御さんは喜ぶことでしょう。

しかし、それを実行するには毎年、2~3億円の経費が掛かかります。

学校給食について、家計が経済的に厳しい家庭には減免の措置が準備されています。

また、育ち盛りの子ども達の栄養が、経費削減で損なわれることのないような配慮も必要になります。

もしそれくらいの経費を毎年ねん出できるのであれば、私だったら、先に学校にクーラーを設置したいところです。

しかしながら、今の米子市立の小中学校の現場では、ちょっとした備品を購入することさえ厳しい状況があると聞きます。

ましてやクーラーの設置となれば、設置費用のみならずランニングコストの負担もかかるため、後回しになっているとも聞きます。

例えば、ふるさと納税によって集まった寄付金はできるだけ教育行政に回すなど、教育予算の財源の確保に努める必要があると思います。

今、ふるさと納税は返戻品の競争に陥り、全国的に問題になりつつあります。

本当の意味で寄附をする意味が問われることになる中で、寄附の目的を子どもたちの将来のための資金として目的化することは一つの考えでもあると思います。

教育環境の整備は、ハード面のみならずソフト面でも充実を図りたいところです。

そのために、一番必要なことは、現場の教員たちの多忙感の解消にあるのではないかと思います。

今、あらゆる教育問題が学校現場に押し付けられています。

本来なら、家庭や地域で担う教育問題までもが学校の問題として取り上げられる傾向にあり、何か問題が起きるたびに教員の負担が重なっていきます。

何かを始めたいなら、何かをやめなければならないと思うのですが、それがうまくいかず負担ばかりが増している現状で、新しい取り組みを始めれば、いよいよもって学校現場はパンクしてしまいます。

そのような事態を招かないためにも、そして、本来の意味で教育が充実するためにも、教員の負担感を減らし、教員が子どもたちと向き合う時間を増やしていくことが、教育の充実の第一歩ではないかと思います。

その他、児童発達支援の充実についても、まだまだやらなければならないことがありますので、これについても十分な関心をもって取り組みたいと思っています。

2017年3月28日 (火)

史跡公園整備の検討について

湊山球場の下にある三の丸跡を活かして、城山周辺を史跡公園にする案が教育委員会を中心に作成されているようです。

私はこの案について「検討」という公約を掲げました。

ご存知の方も多いと思いますが、この湊山球場の跡地利用については、道路を挟んで隣接する鳥取大学医学部とその附属病院へ駐車場として使ってもらうという案があり、慎重に議論していく必要があると思っています。

鳥取大学医学部の存在が米子にとって大変貴重であるということは、すでに2月23日付けのブログで書きました。

一方で米子城跡の歴史的な価値の高まりを受けて、米子城跡とその周辺を史跡公園として整備していこうという考えについても、その教育的価値や観光面での価値、そして市民の憩いの場としての価値をしっかり検討していく必要があろうと思っています。

これらのニーズを両立させることはできないでしょうか?

私はできると思っていますし、それが政治の役割だと思います。

いたずらに結論を急ぎ、一見、わかりやすそうな提案で市民を混乱と対立に追い込んではいけません。

そのためには、まず、鳥取大学医学部側と膝を詰めて、今必要な土地は、どんな用途でどのくらいの面積が必要なのかを十分に話し合うことです。

私はすでに関係者とお会いしてヒアリングを進めていますが、その目的にさえ叶えば湊山球場跡地には全くこだわらないという話を聞きました。

そもそも市に提出した土地利用の要望書はすでに取り下げていて、湊山球場跡地の歴史的価値について、医大の幹部の方々はよくご存知でもいらっしゃいました。

米子の市民の皆様と無用な対立は生んではいけない、というのは彼らの考えでもありますし、私もそう思います。

米子市がやるべきことは、代替案を出すことであり、継続的にこうした課題について話し合っていくことです。

新市長が誕生したら、まずこうした話を公式に話し合うべきです。

逆に言うと、米子市が医学部側に話を聞かずに勝手に結論を出す問題ではありません。

そうして、ほつれた糸を一つ一つ丁寧に解きほぐすように課題を整理し、その上で、史跡公園の問題に取り組むことで、無用な市民対立を防ぎます。

こういうプロセスを丁寧に踏んでいくことも、政治に求められる力量だと思っています。

«拉致被害者の早期帰国への働きかけ